仕事で幸せになるというのは、タカがしれている(?)

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勝間和代さんの「NeoLifehack」を読んで、気になる一節があった。

それが40代前半ぐらいから家事に目覚め、部屋中に溢れかえるものを断捨離したり、おいしい食事を効率よく作る方法を考えたりするようになったら、急に幸せになりました。そのとき気づいたのは、仕事で幸せになるというのは、タカが知れている、ということです。

もちろん、給料が上がったり昇進したりするのは嬉しいことですが、私たちの生活に直接幸せをもたらすか、といったら、それはちょっと違うんですね。

それよりも、いつも部屋がきれいに片付いていて、キッチンに行くとおいしいご飯や飲み物を作ることができ、着るものはちゃんと洗濯された清潔な服で、ベッドのシーツやカバーがパリッとシワが伸びていて気持ちいい、というほうが絶対幸せです

僕自身は、この一節にすごく共感した。しかし、違和感を覚える人もいると思う(少なくとも20代のころの僕であれば違和感を覚えただろう)。

幸せのかたちは人それぞれだ。そのため、幸せになるには、「自分にとっての幸せ」を模索しながらかたちにしていく必要がある。

現在、書店やインターネット上に様々な生き方指南の本や情報があふれていて、これらのソースは自分が幸せに生きていく上で、大いに参考になると思う。

ただし、鵜呑みにするわけではなく、批判的思考を持ちつつ読んでいく。自分にとっての幸せのかたちは何なのかを考えつつ、試行錯誤をする。そのうえで、自分にとっての幸せをかたちにしていくのが大切だと思う。

なぜなら、自分にとっての幸せというのは、その人自身の価値観であり、その人の中にしか答えは存在しないからだ。本やインターネット上の記事に、自分にとっての幸せとピタッとハマる記事があれば良いが、そんなことはまれだろう。自分にとっての幸せや、自分が幸せを感じる瞬間を理解することが大切だ。

仕事100%が幸せな人もいる。その人の幸せを追求するにあたって、可能な限り、家事等の時間をアウトソースして、仕事にかけられる時間を増やすというのはとても良いことだと思う。

一方で、仕事はカネを稼ぐ手段。家族やあそびが絶対大事。という人もいる。それらの人にとっては、仕事を効率的にし、必要な分だけを稼いで、家族やあそびにかけられる時間を増やすのもとても良いことだと思う。

ただし、現代では仕事とあそびの境界があいまいになっているのも大いに感じる。その中で、仕事か、家族か、またはそれ以外かという議論には無理がある気もする(仕事が遊びになっている人、家族との暮らしが仕事の題材になっている人もいる)。だからこそ、自分にとっての幸せはなにかを考え、模索し、幸せの総量を増やしていくことが大切なんだと思う。

山口周さんがツイッターでこんなことを書いていた。

「自分にとっての幸せ」を考えるにあたって、大いに考えさせられるツイートだと思う。