出典:弱虫ペダル_アニメ (@yowapeda_anime) | Twitter
学生時代はやたらと才能を欲していた気がする。
英語が喋れるヤツ、
部活のエース、
東大京大入ったヤツ、
会社立ち上げたヤツ、
彼らには「才能」があって、自分には「才能」がないからできないと思っていた。
でも振り返ってみると、本当にそうだったのか疑問に思う。
中学校からのラジオ英会話を続ければ喋れたかもしれないし、
部活だけじゃなくもう1つ道場に行けばエースになれたかもしれない、
しっかり戦略を持って勉強したらいい大学入れたかもしれないし、
自分のやりたいことを突き詰めたり、問題意識を持ちながら生活していれば、会社の立ち上げだってできたかもしれない。
要するに、才能という前に圧倒的に努力が足りていなかった。
才能のせいにする前にやるべきことがあったのではないか、とつくづく思う。
努力の男「手嶋純太」
最近ハマっているマンガが「弱虫ペダル」。高校の自転車競技部を舞台にした物語だ。
この中で僕が一番好きなキャラが手嶋純太。彼は頭はキレるが、自転車の才能については「からっきし」。他のメンバーと違って、レースで優勝したことは一度もない。自ら自分のことを「凡人」と言う。
▼努力の男「手嶋純太」。3年生のときに自転車競技部のキャプテンを務める。
出典:弱虫ペダル_アニメ (@yowapeda_anime) | Twitter
しかし彼は自分がチームで活躍するためにどうすれば良いかを考え、「スプリント」よりも「クライム」だと割り切る。そしてひたすら登りに磨きをかける。
トリッキーなことはせず、基本に忠実に。自分に何が足りていないのかを考えながらひたすら練習する。努力をする。「当たり前」を積み重ねる。
その結果、彼は自分が3年生のときのインターハイ、山間部門で1位と僅差の2位という結果を残す。
いかにも少年マンガらしいといえばそうなのだが、僕はとにかく感動した。
1位だった相手は強豪校の才能溢れる選手。彼がぐんぐんスピードに乗って登っていく後ろを、苦しそうに、基本に忠実に登っていく泥臭い姿勢がとにかく美しかった。
▼手嶋の魂の走りが描かれている38巻。(勝負の結末は39巻に持ち越し)
「今、才能があるか」に意味はない
才能のあるなしについて「今」考えても意味はない。
大切なのは好きなことにハマって、とことんやってみること。好きなことがなければ、目の前のことにとことんハマってみればいい。
うまくいかなかったら何が足りなかったのかを考えて、それを修正する。そして何より、その習慣を継続する努力をすることだ。
一流と言われる人たちは、その裏で並々ならぬ努力をしていることが多い。実は落ちこぼれだった、というのもよく聞く話だ。
しかし人間都合の良い生き物で、そんな人たちが努力の末に出した結果を「あいつには才能、センスがあったから」で片付けてしまう。
つまり「今、才能があるかどうか」なんて考えたって仕方ない。
結果にこだわって「やりたいこと」「目の前のこと」にとことんハマってみよう。より上のステップを目指してみよう。
結果が出ると、周囲から「あいつは筋がいい。才能がある」なんて言葉がちらほら聞こえてくるようになるだろう。